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『ひつまぶしの起源は、器保護』おはようございます。
今日の天気は雨、夕方ごろからは曇りとなる模様です。 最高気温も19度と肌寒い1日となりそうです。 28日には重要なご講義もありますので体調を崩さないようお気をつけ下さい。
本日10月25日は、「世界パスタデー」です。 1955 (平成7)年のこの日、イタリアで世界パスタ会議が開催された。 EUやイタリアパスタ製造業者連合会などが合同でパスタの販売促進キャンペーンを行っている。
さて本日は「ひつまぶしの起源は「器保護」」のお話です。 読んでいるとお腹が空いてきそうですが、興味のある方はお付き合い下さい。
少々値段は張るものの、たまの贅沢や観光の思い出にぴったりなのが名古屋の名物料理の中でも特別な存在と言える「ひつまぶし」。 うな丼やうな重と一味違う、中部圏独特のうなぎの楽しみ方だ。しゃもじで十字に4分割し、薬味と出汁で味の変化を堪能するのがプロのオススメ。 最近はエビや牛肉を使った「変わり種」も密かなブームとなっている。
明治6年(1873年)創業の老舗、「あつた蓬莱軒本店」 (名古屋市熱田区)。 残暑厳しい9月中旬、扇風機とうちわで備長炭を真っ赤に燃やし、職人がタレにくぐらせた鰻を焼いていた。 うなぎは包丁で細かく刻み、器に盛った白飯の上に。 湯気を蓋で閉じ込めれば、名物ひつまぶしが出来上がる。
誕生の経緯には諸説ある。発祥店とされる蓬莱軒本店の5代目女将、鈴木詔子さん(75)は 「明治時代の中頃に原型が生まれた」と話す。 鈴木さんによると当時は商人や芸妓(芸妓)らへの鰻丼の出前が頻繁だったが、器が瀬戸物のため回収時に器同士がぶつかってよく割れた。
そこで2代目店主が漆塗りの大きなおひつに人数分のご飯とうなぎを盛るアイデアを打ち出した。 しかし数人でおひつを囲むとうなぎが先になくなってご飯だけがあまりがちになる。 均等に食べ尽くせるように鰻を刻んで全体を「混ぜる(まぶす) 」工夫をしたのがひつまぶしの由来と言う。
オススメは、しゃもじで十字に切り込みを入れ、4回に分けて茶碗に盛る食べ方。 1杯目はそのままで、2杯目はわさびやネギなどの薬味でさっぱりと、3杯目はカツオの利いた出汁をかけてお茶漬けにする。 4杯目はお気に入りの食べ方。 ダシをかける食べ方は(お酒のシメ)と言う客の提案がきっかけで始めたそうだ。
誕生からおよそ100年。ひつまぶしは中部地方で誇る食べ物になった。 5月に発行された「ミシュランガイド愛知・岐阜・三重2019特別版」は21店舗のうなぎ料理店を掲載。 蓬莱軒のほか、「いば昇」(名古屋市中区)、「うな藤」(名古屋市昭和区)など、ひつまぶしの老舗や名店がずらりと並ぶ。
愛知県は鰻の産地として知られる。日本養鰻(ようまん)漁業協同組合連合会によると、 2008年の生産量は鹿児島県に次ぐ全国2位「一色産うなぎ」ブランドで知られる。 旧一色町がある西尾市は県の年間生産量(約3400トン)の8割を占め、市町村別では全国トップクラスだ。
1894年、水田地帯だった旧一色町に県の水産試験場ができ、うなぎの養殖試験が重ねられた。 8年後試験場が移転した際、養殖地が民間に払い下げられた。
1959年には、伊勢湾台風で多くの水田が水没した。減反政策の影響もあり、多くの農家が養鰻業者に転身。一大産地に成長するきっかけとなった。 一級河川の矢作川から水を引き入れるなど、養殖に適した環境も質の高いうなぎの生産を支えている。
最近では稚魚(シラスウナギ)も取れなくなり鰻も高騰し、なかなか食べれませんが、たまのご褒美でのひつまぶしは最高ですね。
では本日も頑張って参ります
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