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『首里城再建長期化も』


おはようございます。

 

今日の天気は快晴、最高気温も23度と過ごしやすい1日となりそうです。

朝晩はかなり冷えこんでいますので体調管理にはくれぐれもご注意ください。

 

本日11月1日「灯台記念日」です。

海上保安庁が1949 (昭和24)年に制定。1869(明治元年)のこの日、神奈川県横須賀市に日本初の洋式灯台である観音埼灯台が施行された。

制定当初は、洋式灯台の導入が文化の先駆けの意味が強かったことから、11月3日の文化の日に先駆けて1日を記念日としたとされていた。

しかし1970 (昭和45)年の「東大百年史」の編纂の時に、観音埼灯台の起工日が11月1日であったことが判明し、これが灯台記念日の日附の由来とされるようになった。

 

 

さて本日は「首里城 再建長期化も」のお話です。

少し長くなりますが、興味のある方はお付き合いください。

 

琉球王国の歴史や文化を今に伝えていた首里城(那覇市)の正殿が火災により全焼した。

戦争で破壊された後、沖縄県民の強い思いを受けて復元され、沖縄のシンボルとなっていた。

政府や県は速やかに再建する方針を示しているが、主要な建造物7棟が焼失し、元の姿に戻すには長い時間を要する可能性もある。

 

首里城は那覇の街を見渡す丘の上にあり、国営首里城公園の有料区域内には10の門と14の建物が立っていた。

このうち主要な建造物である正殿や北殿、南殿など計7棟が焼失した。

 

木造3階建ての正殿は、琉球王国で国王が政治や儀式を執り行った最も重要な建物。

古文書の回収記録や戦前の写真、住民の証言や遺構調査の結果などをもとに琉球史の研究者らが考証を重ね、

屋根のある龍の飾り、黄色がかった朱色の外壁等、18世紀頃の姿を再現していた。

 

消失した建物内には琉球王国時代から伝わる壁画や工芸品も収蔵されていた。

城内の石垣や正殿に至る階段などの遺構は琉球王国当時の状態で残っており、

2000年に首里城を含む「琉球王国のグスク及び関連遺産群」が世界遺産に登録された。

 

戦前に正殿は国宝に指定されていたが、1945年、沖縄戦での米軍の砲撃などによって首里城は消失した。

再建を望む県民の声を受け、政府は86年、沖縄の本土復帰を記念する国営公園整備事業として復元することを決定した。

 

89年から始まった工事には宮大工、漆職人などが携わり、本土復帰20周年にあたる92年に正殿などが完成して首里城公園が開園した。

その後も園内の整備が続き、2019年1月、30年に及ぶ復元工事が全て完了したばかりだった。

 

一日も早く原因を突き止め、沖縄県民のアイデンティティーの基礎である首里城が早期に復帰することを祈念します。

 

では今週もラスト、頑張って参ります。

 


2019年11月 1日 08:48 |



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