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『中村医師の信念、次世代へ』


おはようございます。

 

今日の天気は曇り時々晴れ、最高気温は9度とついに一桁台のかなり肌寒い1日となりそうです。

 

本日12月6日「音の日」です。

日本オーディオ協会が1994 (平成6)年に制定。

1877年のこの日、エジソンが自ら発明した蓄音機で音を録音、再生することに成功した。

 

 

さて本日のお話は「中村医師の信念、次世代へ」のお話です。少々長くなりますがご興味ある方お付き合い下さい。

 

突然の凶弾に倒れたペシャワール会(福岡市)の中村哲医師(73)はアフガニスタンでの支援活動の傍ら現地の状況や自身の思いを国内の講演等で伝えてきた。

「まずは人を生かす」「小さな英雄になって」。

信念に裏打ちされた言葉の数々に触れた関係者は、悲しみに打ちひしがれながらも「意思を受け継ぐ」と改めて誓った。

 

寡黙で妥協を許さない、アフガン愛が強い人だった)。京都市で絵本展を営む蓮岡修さん(46)は振り返る。

ペルシャワール会のメンバーとして1999年から約4年間活動を共にした。

 

不衛生な水によって乳幼児の死亡率は高く、中村さんは「治療の前に水と食料が必要だ」と話していた。

「とにかく井戸を掘れ。お金はなんとかする」。

力強い言葉に背中を押され、同会は次々に井戸と用水路を建設していった。

 

「病気は後で直す。まずは人を生かすことを考えよう」。「国は貧しいが子供の目は輝いている。この国には未来がある」。

と言っていた中村さん。蓮岡さんは「突然の訃報に驚いたが、本人も覚悟をして仕事をしていたと思う。

残されたものが意思を引き継いで前を向かなくてはいけない」と語った。

 

九州大学医学部の後輩で、同様に海外で支援活動に取り組む医師、川原尚行さん(54)は

「お互いに内戦のあるイスラム教の国で活動しているので、地域にどう入り込んでいくかを話した」と言う。「生きる標(しるべ)のような存在だった」

 

川原さんは2006年にNPO法人「ロシナンテス」(北九州市)を立ち上げ、内戦で疲弊したスーダンの住民に巡回医療をしたり、水を届けたりしてきた。

「場所は違えど意思を受け継ぎ、平和な世界にとなるように今後も精進する」と力を込めた。

 

中村さんの母校、福岡高校(福岡市)の合屋信一校長は「有名にならなくても小さな英雄はたくさんいる。

そういう人になって」と朴訥(ぼくとつ)な口調で生徒にエールを送る中村さんの言葉を胸にしまっている。

「アフガンでの事業は私一代で終わるべきではない」とも話していたと言う。

 

アフガンなどで難民支援活動を行うNPO法人JEN(東京・新宿)の木山啓子事務局長は、

「大切な事は地元の人々が食べられるようになると」との中村さんの言葉を思い出す。

同法人は01年からアフガンでの物資の配布や学校整備に取り組んできた。

「悲しいが仲間とのの結束が強まった。遺志を継いでいく」と話した。

 

このような内戦状況では、活動自体を嫌う人間もいると思います。

中村医師の信念を引き継ぐ方々にエールを送ります。

 

では今週もラスト、頑張って参ります。

 


2019年12月 6日 09:24 |



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