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『他人と自分を比べない』おはようございます。5月に入りました。 今日の天気は晴れ、最高気温は27度とかなり暖かい1日となりそうです。
本日5月1日は「メーデー」です。 1886年にシカゴの労働者が「8時間労働制」を求めてデモ行ったことを記念し、1889年の第2インターナショナル創立大会でこの日を労働者の祭典・万国労働者団体の日と定めた。翌1890年に第一回メーデーが開催された。
日本でのメーデーは1920年5月2日に上野公園で行われたものが最初で、その後全国に広がったが、1936年に政府によって禁止され1946年まで中断された。 元々はヨーロッパでこの日に行われていた春祭りで、花の冠を被らせて「5月の女王(May Queen」を仕立て、遊戯等して楽しむ日だった。
さて本日のお話は「他人と自分を比べない」のお話です。
本日も、一橋大教授 楠木建氏のお話です。コロナ時代の仕事論、第三弾の最終話です。 またも心に響く言葉満載です。 ご興味のある方は、以下お付き合いください!
和田英「富岡日記」と言う名著がある。 明治6年、15歳で富岡製紙工場の伝習工女となった著者が当時の富岡市での生活と思索と行動を約30年後に回想した記録。 彼女は長野県松代出身で、武家の娘として筋金入りの教育を受けた女性だった。
明治維新の真っ只中、伝習工場には製糸業の指導者としての役割が期待されていた。「天下のおため」を自覚した英は眦(まなじり)を決して松代から富岡に。 国を背負い発展に力を尽くすと言う気迫に満ち満ちている。 新型コロナウィルスで「未曾有の危機」と大騒ぎだが、富岡日記を読むと我々がどれだけ豊かで平和な時代を生きているかと再認識させられる。
さて、この10年ほどでようやく使われるようになったフレーズに「イラっとする」がある。 今の時代を悪い意味で象徴する言葉だ。何を象徴しているかと言うと「大人の幼稚化」。当時の和田英は今なら子供だが、現代の大人よりずっと大人である。
幼児性の中身には以下の3つがある。1つ目は世の中に対する基本的な構えの問題だ。 子供は身の回りのことが全て自分の思い通りになると言う前提で生きる。だが仕事で大切なのは「世の中は自分の思い通りにはならない」と言う前提だ。
本来は独立した個人の「好き嫌い」の問題を「良し悪し」にすり替えてワーワー言う。 これが幼児性の2つ目だ。「好き嫌い」に過ぎないことを勝手に良し悪しの問題に翻訳するから、妙な批判や意見を言いたくなる。 第3に大人の子供は他人のことに関心を持ちすぎる。その人に関心があると言うより、自分の不満や不足感の埋め合わせと言う面が大きいのではないか。 「出る杭は打たれる」。世の中そういうこともあるが、出るとか出すぎると言うのは周囲と比較しての差分を問題にしている。 比較してばかりの人は嫉妬にさいなまれる。子供が「いらっとする」のも嫉妬であることが少なくない。
人はそれぞれ自分の価値基準で生きている。人は人、自分は自分。ほとんどの場合、比較には意味がない。 仕事ができる人ほど出来合いの物差しで他人と自分を比較しない。 本当にスゴイ人は他人との差分で威張らない、自分のだめなところ弱いところを自覚し、自分の強みはあくまでも条件付きで全面的に優れているわけではないことをわきまえている。だから威張らない。
自分1人で全てに秀でている必要は無い。世の中には色々な得て不得手な人がいる。 そうした人々の相互補完的な関係が仕事を成り立たせている。それが社会の良いところだ。 他人を気にせず自分と比べず、良い時も悪い時も自らの仕事と生活にきちんと向き合う。それが大人と言うものだ。
人は人、自分は自分、比べない。自分の強みを押し付けず、威張らない。人には得手不得手があります。 お互いを認め、高めあえる関係になれる様、心にゆとりの有る人間になりたいです。
では、明日からゴールデンウィークですが、今はステイホーム、ほぼ出歩かず自粛して過ごします。 では本日も頑張って参ります!
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